2時間余りの幸福

わずか2時間で幸せな気持ちにしてくれる「映画」について。

どうやったらつまらない映画を楽しめるか、考えてみた話

一緒に映画を見た人に、たまに言われることがあります。

「なんでそんなに楽しめたの?」

当然この質問には「私は楽しめなかったけど、」という枕詞が着くわけですが、自分が思った以上に、自分は面白かったと感じていても相手はそうではないケースというのが多いらしく、どうやら私の打率の高さは異常かもしれないと思うようになりました。

今までは無意識もいいところだった、このことについて、つらつらと書きながら考えてみたいなと思います。

 

 

 

物語がつまらない

冒頭の質問に対して、どうしてつまらなかったのか、逆質問してみると多い返答がこれ。

ちょっと色々内包してそうなので、分解してみます。

 

ケース1:単純に飽きてしまうケース

物語=ストーリー展開に興味の持続があるかどうかが、面白いかつまらないかの単純な分岐点だと思います。

興味が続く=面白い、興味が続かない=飽きる=つまらない

この分岐に関しては、好みの差としか言いようがないケースが多い気がします。例えば淡々と進んで行く物語を退屈と捉えるか、抑制が効いていると捉えるかの違いで大分印象変わるでしょ。

これに関しては「好みが違うねー、ハハハ」でいいと思いますし、自分も相手同様つまらないと思うことも当然あります。

 

しかしながら、共感できるか否かが【面白い・つまらない】の判定基準になってしまっているという問題を内包していることが多いのもこのケースです。

私は共感を判定基準にしていないので、相手がこれを理由につまらないと言ってる場合は、かなり食い違うことが多いです。

共感しないほうがつまらないの入り口を減らせるということを過去記事では結構適当に書きましたが、私が共感できなくても楽しめる理由がこれに当たります。

 

ケース2:説明されないと納得できないケース

全てが説明されていないと気が済まないタイプの人がたまにいます。

最近見たある作品の感想では、ある登場人物についての素性が最後まで全くわからないということを理由に作品の評価が低いとしている方がいました。

私はむしろ、その得体の知れなさが魅力だと思えたので、あえて説明していないんだろうなぁと思っただけで、特別憤ることもなかったです。

説明を削ぎ落としていることの歪さが、クオリティの低さからではなく、その作品を魅力的にしているというケースは結構あると思っていて、そこに気がつけた時は、評価が上がることになります。なので、積極的に気がつこうとしています。

 

あとは、説明されていないことを「意味がわからない」となってしまってつまらない認定されてしまうこともありますね。

これについては、作品のタイプによってはそれも味だと思えるかどうかにかかっている気がします。

対照的な例を挙げると、例えば、ミステリー系の作品であれば謎解きが作品の肝なので、物語展開上の謎=見えない部分は基本的に全て説明されます。逆に、ここの説明が不足していたら作品として成り立っていないのでつまらない認定されても仕方ないでしょう。

対して、比喩的に何かを表現するという手法を取っている作品というのも数多くあります。これについては、画面上に映っている事柄が何かを象徴していたりするので、一見何も起きていないが、その実、見る人が見れば雄弁に物語っているなんてことがあるわけです。こういう作品に出会った時に、意味がわからなかった時は自分の無知を自覚する共に、それが何を意味しているのか、自分なりに解釈したり、他の資料を探して調べたりするのが楽しいんですよね。私が最近レビューした作品だと『マザー!』がそうでした。なので、基本的につまらないのは自分が悪いと思って見てることが多いです。

 

ケース3:物語上の特定の描写に納得できないケース

スパイ映画をそのジャンルが好きな友人と見に行ったとするじゃないですか。

でも、その友人がどういうスパイ映画が好きなのか、今日観に行くその作品がどういう温度の作品なのか、そのレベル感によっては全く響かないことがフツーにあります。

例えばその友人が、007シリーズしかスパイ映画は認めないという場合、

(そもそも007も製作時期によって風合いは異なるけど、とりあえず無視)

誰よりも狙われた男』のようなジョン・ル・カレ原作小説によるリアル路線諜報員ものを見れば、「こんな地味な映画はスパイ映画じゃない!つまらんっ!!」ってなっちゃうだろうし、

『セントラル・インテリジェンス C.I.A.』みたいなスパイコメディー見れば、「こんなアホなスパイいるか!つまらんっ!!」ってなると思うんですよ。

でも、これってその作品の持ち味が全然違うのに、そこに歩みよらず、単一の評価基準でしか見てないのが間違ってると思うんですよね。これも見る側の問題であって、流石に制作側に落ち度はない。持ち味がきちんとあってジャンルとして求められることをクリアできているのであれば、制作側があえてオミットしているであろう瑣末な描写を感想の趣旨とする必要はないかと。だから私はその作品の持ち味は出来るだけ掬い取ってあげられるように見るようにしています。

 

私がつまらないと感じる時

これまでの記述から翻って、こういうことになるかな。

興味が湧かず、飽きる
説明し過ぎ
持ち味がまるでない

こういうのに加えて脚本が稚拙だったりすると最悪ですね。

ちなみに、ここで言う説明し過ぎに関しては、ケース2とちょっとニュアンスが違って、大演説大会みたいなやつのことです。

 

まとめ

とりあえず、作品をつまらないと思ってしまう理由について3つのケースに分けて考えてみました。

そして、そのそれぞれに対して自分はどう感じていて、つまらないと思わないような見方をしているか確認してみました。

 

ケース1:単純に飽きちゃう

→好みの問題だから気にしない。共感できなくても楽しむ方法はあるよ。

ケース2:説明不足は許せない

→あえて説明しないのも魅力。説明されない部分や象徴的な描写を解釈しよう。

ケース3:特定の描写がノイズになっちゃう

→作品の持ち味を見つけよう。ノイズが持ち味と関係なければ無視してOK。

 

他にも考えたら多々ありそうな気はしますが、力尽きたので本日はこれまで。 

それではみなさんご機嫌よう。

 

 

 

こんな記事も書いてます。

 

mariamucha.hatenablog.com

 

 

mariamucha.hatenablog.com

 

 

mariamucha.hatenablog.com