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2時間余りの幸福

わずか2時間で幸せな気持ちにしてくれる「映画」について。

映画『ラ・ラ・ランド』を観たら『セッション』との対比が面白かった。

2017年新作映画

『ラ・ラ・ランド』を観てきた感想です。

記事の後半ではネタバレあります。

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画像引用元:ラ・ラ・ランド : 作品情報 - 映画.com

公式HP:

gaga.ne.jp

 

観たいと思った理由

予告編が素敵

今年の暫定ベスト予告編です。

主演の一人、エマ・ストーンのダンスに目を奪われたのと、使われている音楽が心地よくて、初見の頃からもう絶対に観たい!面白いに違いない!と思ってました。

素敵だと思った箇所では、特にショートバージョンの予告にあった「夢を見ていた」っていうモノローグが入るのがいい感じを出していました。

予告編(ショートバージョン)


「ラ・ラ・ランド」ショート予告

予告編(本予告)


「ラ・ラ・ランド」本予告

 

前作『セッション』の鬼教師役J・K・シモンズが出ていたので、ピアノを弾くライアン・ゴズリングに向かっていつ『ファッキン・テンポ!!!』とか言い出さないかビクビクしてました。 

鑑賞した劇場

T・ジョイPRINCE品川

スクリーン11

公開初日(2月24日)の最終21:35の回、IMAXで鑑賞しました。

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余談ですけど、IMAXのスクリーンでやってる予告編って通常のラインナップと違ってて面白いです。今回は特に『トランスフォーマー』の次回作の予告が、シリーズを手がけるマイケル・ベイ監督とIMAX社の蜜月を強調するメイキング映像を交えたものになっていて面白かった。むしろこっちのドキュメンタリーを見たい。

あと、『スパイダーマン:ホームカミング』も見たくなりました。

 

客入り

300席の客席がほぼ満席でした。

客層は若い人から中高年まで男女問わず居ました。時間が遅かったので流石に中学生・高校生は居なさそうでした。

この日は帰りの電車の都合でパンフレットを買えなかったので、翌日に日比谷のシャンテに行ったところ、妙齢の女性二人組と遭遇しました。本当に幅広い層に関心を持ってもらえているんだなといった感じです。

あらすじ

 夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ(セバスチャン)、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから、二人の心はすれ違いはじめる……。

(引用:映画『ラ・ラ・ランド』公式サイト

感想(ネタバレなし)

始まり方が最高

映画が始まってすぐのシーンがそりゃもう、すんごい仕上がりになってます。

このシーンが楽しすぎて、この映画に寄せる期待感を全て受け止めてくれた感じがしました。冒頭の入り方がいい作品とか、よくできた予告編を見ている時に、「今からいい映画が見れるんだ!」と思って嬉しくなることがありますが、今回はワクワクしすぎて「今すでにいい映画を見ている!」といった感じで泣きそうになりました。

後から指摘されてそういえばと思ったのですが、このシーンがワンカットなのも凄い。(ワンカット風ってこともあり得ますが。)

終わり方が最高

ストーリーの終結のさせ方も見事です。

映画が終わるまでのラスト7分40秒が素晴らしかった。

これまでのシーンの積み重ねがあるからこそ特別な場面となっています。

ここで表現されることの切なさとその一方の素敵さがいちいち腑に落ちて最高だと思ってしまいました。

つまり始まりも終わりも最高なので、見終えた後の満足感が非常に高かったです。

始まりも終わりもいい映画ってそんなにないと思います。

とにかくずっと楽しい

始まりも終わりも良かったので、満足感が高いこともあり、見ている間中ずっと楽しかったです。

特にダンスのシーンの数々は楽しいものが多くて自分も踊り出したくなるようなものばかりでした。

映画・音楽・その他表現活動全般に対する作り手の愛が感じられるものとても好感が持てて、映画のテーマとリンクしていく感じは非常に気持ちよかったです。

感想(ネタバレあり)

ここからネタバレを含む感想です。ご注意を。

 

 

 

 

 

 

 

 

ラストシーンの解釈

終幕近く、ミアとセブが再開するシーンの演出が本当に見事だったと思います。

ピアノを弾き始めたセブが奏でるメロディーはすでに聞き覚えのある曲、徐々に暗くなる周囲が曲の切れ目とともに明るくなると、ミアとセブが初めて出会うシーンになっている。初対面では肩がぶつかっただけの二人がこのシーンでは抱き合ってキスをしているのが、嬉しくて嬉しくて。

予告編で前後を切り取られたこのシーンだけを見たときはいきなりキスはいくらなんでも。。。と思ったものですが、それまでの展開を知ってから見せられるとこれが見たかった!ってなるようになっているんですよね。

もうここからはミアとセブ、そして観客の「こうなったら良いな!!」のシーンのオンパレード。でもそうはならなかったということも知っているからこそ切なさもひときわ。二人で幸せそうに踊るワルツのシーンは、最初と二度目で意味が全く異なるわけでグッとくるものがあります。

夢の向き合い方と偶然性と。

夢との向き合い方とその結果に対する描き方がとても誠実だと感じました。

それは何故か、僕にはミアとセブの夢が偶々(たまたま)叶ったように見えて、それが非常に心地よかったからです。

通常、フィクションの世界では不遇の状態にある登場人物が夢を叶えた場合、そのことが持つメッセージは「諦めなければ夢は叶う」すなわち夢への情熱、熱量を持ち続ければ<必ず>叶うという風になりがちです。

しかし現実に目を向けてみると、同じように熱量があっても皆が皆成功しているわけではない。熱量は必要条件であっても十分条件ではないということです。上記のメッセージでは十分条件として語られるので真逆です。

(夢との向き合い方を扱った映画で僕が好きな作品の一つに『フランシス・ハ』がありますが、これは夢とどう折り合いをつけて諦めていくかがテーマになっていました。)

ミアもセブもそれぞれの夢を叶えているわけですが、そこに至る過程で特別な素質があったようには思いません。周囲の人々と比べて彼女らが何かに秀でているようには描かれていなかったからです。

彼女らは誰かより秀でて、誰もやっていないことで夢を叶えたわけではなく、みんながやることだけど、その内容がごく個人的でその人にしかできないことを偶々評価されたというのが大切なポイントになっていると思います。

後に有名な女優となるミアがそのきっかけを掴む面接では、彼女の叔母のことを話します。自分が女優を志す原因にもなった人の話をするわけですが、これ自体はどうしたって彼女自身にしかできないことです。これが刺さるかどうかは聞き手次第なので完全に偶々です。

この偶然性が僕には気持ちよかった。

自分の持っている熱量を含めたあらゆる自分のパーソナルな部分が他者に対して共感を生むかはわからないから、それが評価されるもされないも偶々なんだからトライし続けなというスタンスがすごく肯定的で良かったんだと思います。

 

偶然ということは必然でないということなので、作品によってはその偶然性がフィクショナルな作為性(いわゆるご都合主義的展開)を殊更強調してしまい、「そんなの偶々じゃねーか!」とノイズになってしまうこともあります。この辺りの感覚の違いを明確に言葉にするのが難しいのですが、本作の偶然性にはきちんと納得感があった。

 

偶々な感じが良かったところをもう少し。

終幕に向かう中で、ミアとセブの二人は別れてしまうわけですが、これも僕の中では偶々なんだろうなということになっています。

おそらく別れない道もあったろうけど、偶然そうはならなかった。

出会って、恋をして、別れて、夢を叶えて、再会して、そしておそらく交わらないであろう互いの人生を再び歩む。この全てが偶然で、偶々交わった期間の思い出と、こうだったら良かったのにという願いを織り交ぜながらも見せるラストショットの二人の笑顔は二人にとっての「偶々」を祝福しているかのようでした。嬉しくも切なくもある混じり合った感情の表現と相まって非常に好きなシーンです。

 

こうなったら良いな、でもそうはならなかった。それでも見せる笑顔という点では、『ホドロフスキーのDUNE』を思い出しました。

映画監督のホドロフスキーが全ての情熱を注ぎ込んだ作品『DUNE』がキャスト等が決定していたにもかかわらず、制作直前で企画倒れとなってしまった顛末を語るドキュメンタリーですが、その中で「来るもの拒まず、去るもの追わず、全てYESだ!」と笑いながら言っていたのが重なりましたね。

 

極上音響上映でも見てみた

東京立川市のナイスな映画館、シネマシティでやってた極上音響上映で2回目を見てました。上映3日目の日曜日の午後の回、こちらは満席でした。

初回がIMAXだったせいか、設備の違いによる音響の差はわかりませんでした。どちらも素晴らしいと思います。

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話の流れがわかった上で見ているので、映画冒頭の楽しさで泣きそうになった初回に対し、今回はもう二度と取り返せない日々を思い浮かべているラストのミアとセブを思って泣きそうになりました。

『セッション』も上映していた

実はこの日、デイミアン・チャゼル監督の前作『セッション』もリバイバルで上映していたので見てきました。こちらも当然極上音響上映。

『セッション』は劇場公開時に一度見たきりなので、今回で二度目になります。

初見での感想は「なんかすげーもの作ったな」っていうところでしたが、二度目見ても改めて凄いと思える作品でした。

(ここから先、『セッション』のネタバレも若干含みます。ご注意を。)

 

 

 

 

 

 

 

前作『セッション』との対比で見えてくるもの

『セッション』と『ラ・ラ・ランド』を同日に見たことで、面白い発見がありました。

恋人との関係性

どちらの作品も主人公とその恋人は別れてしまうわけですが、別れる理由が真逆となっています。

『ラ・ラ・ランド』でミアとセブは互いの大切な相手が、大事に思っていること(つまり夢)を実現するために別れたのだろうと推測できるので、互いを尊重しあっての別れとなります。

他方『セッション』では主人公アンドリューは自分の夢の実現のためには不要な存在として彼女の意見も聞かずに別れる。自分のことしか考えずに恋人を切り捨てる姿は『ラ・ラ・ランド』のそれとは真逆です。

しかし『セッション』においてはアンドリューにとっての真の恋人がいますね。

それはフレッチャー先生です。

見つめあい微笑む二人

前後関係は端折りますが、『セッション』もラストでは因縁のあるアンドリューとフレッチャー先生はお互いを憎み合いながらも二人にしか到達できない世界へと没入していきます。そしてラストショットではそんな二人がニヤリと微笑んでいるわけですよ。

ゆがんだ師弟関係があたかも愛のような相互依存関係を作り上げた名シーンだと思ったわけなんですが、これが『ラ・ラ・ランド』のラストショットとの対比で考えると実に面白い。

『ラ・ラ・ランド』では純粋な愛とその幸福感を纏った笑顔に対し、他方『セッション』では愛憎入り混じった微笑みという具合で、両作品の「表現」とか「音楽」に対する思いを表した裏テーマみたいなものを感じた次第です。

良かったところ箇条書き

エマ・ストーンのダンス

ブルーのドレスを着ているシーンのダンスが大好きでした。

エマ・ストーンの顔芸

パーティーに繰り出す前のシェアルームのダンスシーンでカーテンにくるまってるとこと、歌をリクエストして踊ってるとこが個人的にツボ。

 

最後に

熱量についての文字数が多くなりましたけど、この記事も相当熱が入って書いてしまいました。(本当は速報的にアップしようとしたけど、いざ書き始めると時間がかかって1週間遅れてしまった。)

兎にも角にも大満足の作品でした。

夢への向き合い方映画ではベストの『フランシス・ハ』と並んで大事にしたい作品となりました。

実は3回目をドルビーアトモスで見に行く予定です。