2時間余りの幸福

わずか2時間で幸せな気持ちにしてくれる「映画」について。

コミュ障について考えさせられた話

 

ちょっと前の話になりますが、久し振りに大勢の初対面の人と会うということがありました。

そこで交わされたコミュニケーションについて思ったことを少し書こうと思います。

 

 

 

 

コミュ障って言葉あるじゃないですか。

個人的にはコミュニケーションを取るのが苦手な人を総称した言い方だと解釈してます。

今回、この人コミュ障だなと思わされた事案がありまして。

この話をする前提条件としては、自分はこの言葉にはちょっと侮蔑的なニュアンスがあるなとも感じています。

ですから、「自分、コミュ障だからさ」みたいに自称するなら良いけど、他人に向かって「あなた、コミュ障ですね」という使い方をしてはいけないと思っています。

なので、今回も「あの人コミュ障だな」と思ったというだけの話をします。決してご本人にそのことを伝えたわけではありません。

というようなことを一応の断りとしておきます。

 

で、話を戻すと。

今まで、自分はコミュ障というと、うまく喋れない人のことを指すのだと無意識に思っていました。

いわゆる、何を聞いてもしどろもどろになってしまう人のことをイメージしていた節があります。

ところが、今回、初対面であった人の中に、終始自分のことばかり話す人というのがいらして、「あぁこの人コミュ障だ」と感じさせられたんですよね。

この方(仮にAさんとします)、数人のグループで話しているときにどんな話題でも常に「自分はどうした」「自分は何をやっている」といった感じなんです。

これが続くと他の方は相槌しか打てなくなります。

ちょっと困ったなと思ったので、他の方も発言出来るように、Aさんではない方に対して話題を変える別の質問を投げかけたとしても、「それはそうとして、自分にはこういうことがあった」っていう感じで、Aさんは全部会話のボールを巻き取っていっちゃうんです。

Aさんの自分の話といっても自慢話とかそういうんじゃないので、基本は善良な方だと思うんですが、その場の空気は完全に厄介な人となっていました。

私自身この空気感の中で、Aさんはコミュ障だなと感じ、話続けることのできるコミュ障というのがいるのだなと実感を持って感じることとなりました。

 

そもそもコミュニケーションとは相互性で成り立つので、この相互性を損なう障害としては、片方が話し過ぎて崩壊するパターンもありますよね。

冷静に考えてみれば、なるほど。

しかし、これまであまりコミュ障について考えたことなどなかったので、その視点は欠落していました。

 

で、気がついたら最後、私は背筋の凍る思いをしました。

この事案、過去に自分もやってしまった経験があったからです。

自分の経験では往々にして、こういう風に話し過ぎてしまうのは、関係性が築けていない場合でした。

初対面の人と会う緊張で、むしろ喋り過ぎていたことなんて言うのは、自分にもあったわけです。

そして今回、自分がたまたまそうならなかっただけで、このことを忘れたら次は自分もAさんや過去の自分がしでかしたことを再びしてしまうかもしれません。

 

正直なところ、今回の事案に遭遇してすぐはAさんとは距離を置こうと思っていました。

ですが、過去の自分がそうしていたかもしれないと気がついた以上、その考えは捨て去る決意をしました。

なぜなら、今もなお自分と関係性を築いてくれている人がいるのは、彼や彼女らが、過去の自分の失態を見逃してなお、関係性を築こうと努力してくれたからじゃないのかと感じられるようになったからです。


今回のAさんももしかしたらそうかも知れません。

これから関係性が築けていったら、きちんと良質なコミュニケーションが取れるようになるかも知れません。

 

自らを戒める気持ちになりました。

 

 

 

本日はこれまで。 

それではみなさんご機嫌よう。

 

 

 

普段は前向きに映画の感想とか書いてます。

 

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