映画『たかが世界の終わり』を観て(2月11日,2017年)
画像引用元:たかが世界の終わり : 作品情報 - 映画.com
グザヴィエ・ドラン監督の最新作『たかが世界の終わり』を見てきた感想です。
公式HP:
本作が初回記事
本ブログの初回の記事として選んだのは、『たかが世界の終わり』
本作を選んだ理由は新作公開のタイミングとしてちょうど良かったのもあるけど、僕が監督のグザヴィエ・ドランに惚れ込んでいるから。
初回記事という記念すべきと言わないまでも、少しは意識してしまう特別感に対しての自意識から好きな監督の作品が良いということで。
2年前(2015年5月)に前作の『Mommy/マミー』を観てその映像表現のフレッシュさと人間関係の機微の捉え方にえらく感激しましてね、その日以降彼のフィルモグラフィーを漁っては見るという繰り返しの日々が続きました。
上でドランとか馴れ馴れしくも呼び捨てで書いてますけど、普段は尊敬の念を込めてドラン先生と呼ばさせていただいております。一連の作品でそのくらい感銘を受けたということですね。
ちなみに僕が他に敬称をつけて呼んでいる方は、シルベスター・スタローン先生とトム・クルーズ先輩がいます。
(敬称つけないから見下してるってわけじゃないですよ、念のため。彼らについては特に映画人として尊敬しているということで。)
鑑賞した劇場
ヒューマントラストシネマ有楽町
公開初日の初回に行ってきました。
館内にはドラン先生への愛を感じる展示がありまして、
この写真を撮る直前には非常にオシャレな20代前半と思しき女子二人組がキャッキャ言いながらこの展示をバックに自撮りをしていて、先生の訴求力の高さにグッとくるものがありました。
主演のギャスパー・ウリエルの直筆サインなんかもありました。
劇場内はほぼ満席で、客層は先の20代前半女子から老婦人までおり、男女比も半分ずつくらいかなという印象。割といい雰囲気で開始時間に。
あらすじ
「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ。母のマルティーヌは息子の好きだった料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌは慣れないオシャレをして待っていた。浮足立つ二人と違って、素っ気なく迎える兄のアントワーヌ、彼の妻のカトリーヌはルイとは初対面だ。オードブルにメインと、まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように、ひたすら続く意味のない会話。戸惑いながらも、デザートの頃には打ち明けようと決意するルイ。だが、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる――――。
(引用:映画『たかが世界の終わり』公式サイト)
予告編
感想
ずっしり重めの家族再解釈映画
『Mommy/マミー』を見終えた後に感じた「すげー!これ大好きだ!」って感覚(字面にするととても阿呆w)とは異なるけれど、好みではないと言うことは全くなく、ズシンとくる重たい作品でした。
家族間コミュニケーションの成立するバランスの脆さとそれが決壊する様が痛々しくて、(初回の記事で言うのもなんだけど)家族とうまくコミュニケーションが取れなくなってしまうことがよくある自分に重ねて観てしまったのでものすごく心当たりがありまくる恐ろしい作品でしたよ。
筋書きとしての物語が面白いとかではなく、ごく個人的な経験談に重なってくるタイプの面白さ(と怖さ)が凄まじいので人には薦めづらいw
個人的にあるあるネタだったのが、主人公のルイの帰郷にはしゃぐ母親のうっとうしさで、長男のアントワーヌが何かにつけてイライラして「もうやめてくれ!」っていうけど、「やめましぇーん∂(*´∀`*)ヶラヶラなんでそんなに怒ってるかしらねー?」みたいな感じでかわしてくる辺りが本当にうっとうしいわけです。
似たようなことが思い当たる自分としては、「なんでこんなに鬱陶しいんだろう恥かかすなよ。。。」とか思うわけです。
しかし最初のうちこそそんな風に思っていても、そこはドラン先生の作品です、そんな(少なくとも僕にとっての)家族あるある「だけ」で映画が構成されているわけではない。
そのことに気づかされるのが、ルイと母親が二人きりで話すシーン。
母親の造形
この母親、それまでの異常なハイテンションぶりがまるで別人のように静かに知的に話し始めるわけです。
ついさっきまで話の流れとかガンガン無視して自分の言いたいこと、思ったことを思い浮かんだまま口にしていた母が、長男アントワーヌと妹シュザンヌに対して、彼らがルイからしてほしいと思っていることをしてやってくれと言うお願いをします。
こんな依頼って、きちんと他人のことが見えてなきゃできないわけで、この人はおそらくものすごく的確に自分の子供の感情とか思いを察知できる賢い人で、みんなの前でいるときは、道化を演じているだけなんですよね。
父親不在のこの一家の中で、自分が担う役割を道化という形で演じているというキャラクター造形にこれまたグッとくるものがあるんですよね。
これまた僕の想像なんですが、多分あの家ではこの母親が道化となることでしかコミュニケーションが発生していないのではないか。つまりお笑いにおけるボケとツッコミのように、ボケてみるー他者から「ツッコミを受ける」役、を引き受けることで、会話を生み出しているような気さえしました。
たとえ交わされる会話がネガティブなものであろうと、無よりは全然いい。
その役割こそ家族を繫ぎ止めるのに必要で、それは自分の担う役だと認識しているのかもしれないと思った瞬間にこの母親のキャラクターの厚みが増してきて、グッとくるものがあったわけです。それと同時にドラン先生っぽさを感じましたね。やっぱり母と息子の話はここでも健在かと。
この道化の役が裏返るところで、「人は思った以上に馬鹿じゃない」っていうことも思いましたね。自戒を込めて教訓としようと思った次第です。
母の依頼
母からルイへのお願いの内容からも感じることがありました。
ルイという人は、家から出て行き、社会的な成功を収めた人で、兄にとっては妬みに近い憧れ、妹にとっては恋心に近い憧れを抱かせる存在だったように思います。
兄も妹も現状では出て行きたいけど、出て行けてない「家」。
そんな兄妹に対して彼らが望むような言葉をかけてやってくれという母の依頼は、一家にとって求められる役割を演じてきた人ならではの思考がよく表れていると思います。
母にとっては、家族の中で自分に一番近い存在だと思っていたのがルイだったのでしょうか。
しかし、ルイに対してはあまり見えてなかったんじゃないかなとも思ったり。
この辺りは、属性が近しすぎると却ってわからなくなってしまうこともあるかななんて気もします。
ルイという「異物」への対応
それまで不在にしていた彼が帰ってくることで、いろいろなことが浮き彫りになっていくわけですが、その中心となるルイに対する反応も興味深いんです。
ちょっと解釈しきれていない部分が多いので、箇条書きに留めておきます。
・兄アントワーヌ:半ば恨みをぶつけるように反発し、距離を置こうとする。(ウイルスに対する白血球みたいwとか思いました)
・妹シュザンヌ:必要以上に受容しようとし、自分のことばかりを話す。
→ちょっと母がどういう位置になるか解釈しきれてませんが、兄妹に関してはどちらもルイの話はほとんど聞かない。
・兄の妻カトリーヌ:彼女だけがルイの話に耳を傾ける。
ちなみに母の名はマルティーヌなので、ルイ以外は最後に「ヌ」で終わるあたりもルイの異物感を強調してるような気がするのは気にし過ぎかしら。
その他良かったところ
兄役のヴァンサン・カッセルとその妻役のマリオン・コティヤールの表情の素晴らしさ。
目線とか眉毛だけで演技ができることに驚きました。さすが名優です。
特にマリオン・コティヤールの眼球の動きたるや。
ルイが実家へ向かう途中のシーンで流れる曲。
オープニングテーマ的な効果で楽しいのと、詩のチョイス(翻訳が素晴らしいと思います)と曲と映像のミックス感にドラン先生っぽさが出てるので、「これからドラン先生の映画見るぞー!」っていう高揚感が出ます。
途中で使われるある曲。
これもドラン先生っぽさなんですが、劇中で割と長尺で使われる曲があって、毎回かっこよく仕上がってるんです。
しかし今回に限って僕は笑ってしまいました。全然面白いシーンじゃないけど。
多分年齢が30代以下の人が見たらちょっとした笑いが起きると思うんですよね。こんなことになるのは絶対に日本だけですので、どんなシーンか気になる人は是非劇場でw
まとめ
ここまで人間が見え過ぎていると実生活で大変なんじゃないかなとドラン先生が心配になってしまうほど、人間関係の機微とか不安定さがしっかり描かれていたと思います。
ここまで書いてきて感じていることですが、やっぱり僕はこの作品大好きになりましたね。
家族仲がとても良くて、常に「家族大好き!!」って自覚している人には、全くノレないかもしれませんが、それ以外の「嫌いじゃないけど、家族よくわからん」くらいに思っている人は見たら良いのでしょうか。
あるいは(僕のように)家族コンプレックスを抱えているような人はどハマりする可能性がありますので、そういった方には是非見ていただきたいですね。
余談
今回が初記事だったので、文体とか、完成度とか色々アレですが、今後も見た映画とか
感じたことを書いていこうかなと思います。目指せ週1ペース。
それではまた。