映画『くまのプーさん』感想 可愛いだけじゃない!内容のなさにこそ意味のある少年の物語
前回記事で予告した通り、今回は『くまのプーさん』の感想です。
『プーと大人になった僕』を今週末見にいく予定なので、その予習として見てみました。
くまのプーさん/完全保存版 スペシャル・エディション [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
- 発売日: 2013/08/02
- メディア: Blu-ray
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あらすじ
人気キャラクター“くまのプーさん”を主人公に、かわいい冒険と永遠の友情を描いた長編アニメ。第1作目『プーさんとはちみつ』、1968年アカデミー賞短編賞受賞作品『プーさんと大あらし』、『プーさんとティガー』の3つのエピソードを1つの作品として上映された。監督はウォルフガング・ライザーマン、ジョン・ラウンズベリー。
今さらとか言わない
言わずと知れた大メジャー作品ですし、もはや古典の風格すら漂う本作だと言うことは当然承知してます。
ただその上で、今さら言うほどでもないことであっても、個人の新鮮な感想として記録しておこうかなというのが本記事の趣旨となります。
なんたってこちとら初見ですから。(なぜか喧嘩腰)
完全保存版で見たよ
元々は短編
3つのエピソードが連なって本編となっており、一つひとつにはそこまで関連性を感じなかったので、オムニバス構成なのねと思って見ていました。
そもそもの本編が74分と短いものだったので、これで一つの長編かと思っていたんですが、特典映像の製作者インタビューによると、最初の公開時は独立した話の短編で、3つそれぞれを公開時期も違うとのこと。
『プーさんとはちみつ』1966年
『プーさんと大あらし』1968年
『プーさんとティガー』1974年
年代を並べて見ると、そんなに昔の作品なのかって感じしますね。
これら年代が離れていることによる絵柄の違いには全く気がつきませんでした。
それで、私が見た完全保存版というのは、上記の3作品をまとめて、各エピソードの繋ぎのシーンとエンディングを追加したバージョン。劇場公開は1977年。
さらに特典映像には別の短編『プーさんとイーヨーのいち日』が含まれていました。
こちらの公開は1983年と最初のバージョンから20年近く開いているので、流石に絵柄の変化には気がつきました。専門的なことはわかりませんが、なんて言うか色の処理が本編に比べてちょっと新しいんですよ。
キャラクターの愛らしさ
プーさん可愛い
キャラクター造形のバランス感覚良し
プーさん基本的に抜けまくっててアホなんですけど、可愛いんですよ。
いや、アホじゃないか。クリストファー・ロビンのセリフにあるように「おバカさん」ってのが言い得て妙で、とてもしっくりくる。
普通大人が見たら、抜けまくってるキャラクターってイライラするようなもんですが、全くもってそんなことない、絶妙なバランス感覚なんですよね。
このバランス感覚は他のキャラクターもそうで、ティガーは迷惑なやつだけど、嫌なやつじゃないとか、ラビットは基本的には常識的な良いやつだけど、少し意地悪なところがあるとか。
自己肯定感の高さ
あと、見ていて感じたのが、プーさんの自己肯定感の高さですね。
プーさんが終始幸せそうなのはこれが理由だと思う。
シュール感を飲み込む可愛さ
可愛すぎてむしろ豪腕
個人的な静かな笑いどころとしては、鏡像を理解しないという点があります。
プーさん達が住む100エーカーの森の住人達はそれぞれ家を持っています。
いくつかの家には鏡を置いてある部屋もあります。
プーさんもそうで、自室に鏡があるんですけど、鏡に写った自分は全く別人だと思っているんですよね。
鏡はあるのに、鏡像という概念が存在しない世界観を目の当たりにして、自分の中の何かがグラついた感じがして少し怖かったんです。
それにもかかわらずプーさんの可愛さですべて丸く収めるあたりの手腕は見事。豪腕と言わざるを得ない。
いやー、シュールだったなー。
とは言え、怖いとこも
シュールさが怖すぎたところもありました。
ズオウとヒイタチのところのサイケデリックさとか、森で迷ったラビットが憔悴していくところとかで、割と恐怖を覚えましたね。
子供の頃見てたらガチでびびったんじゃないかという気すらします。
あのサイケ感、トラウマになるわ。
プーさんの可愛さはァァァァァァァアアア 世界一ィィィイイイイ
はい、こんな使い古されたネタですみません。
ご存知ないという高貴な御仁は、「シュトロハイム 名言」でおググり遊ばせ。
で、なんで世界一かっていうと、プーさん関連グッズの売り上げがディズニーキャラクターの首位ということらしいので。ウィキ情報なので信憑性の担保は致しかねますが。
クリストファー・ロビンの物語
クリストファー・ロビンの万能感
100エーカーの森では何か困ったことがあると、すぐにクリストファー・ロビンが呼ばれます。
このクリストファー・ロビンの便利屋加減がすごいことになってるんですが、そもそもこれは現実世界での人間の男の子クリストファー・ロビンが、自分のぬいぐるみとの遊びの中で想像した話なので、そういうことになるんだろうなと。
クリエイター=創造主はその世界の神ですから、当然なんでもできるわけです。
内容がないことに意味がある『くまのプーさん』のストーリー
本編に収録されている3つのエピソードって基本的に内容がないです。
この散文的な感じを大人が見て、つまらないと受け取ってしまうこともあるやもしれません。
ただ、個人的には「内容がない」ということに意味があるような気がしています。
というのも、小さな子供が夢想したなんでもない話として解釈できるからです。
クリストファー・ロビンは未就学の子供ですから、年齢は5歳前後といったところ。
そのくらいの子供がする想像って途方もないけど、大した意味もないことが多いでしょう。少なくとも子供時代の私はそうでした。
プーさんの世界に出てくる文字の表記はところどころ間違っていたりするのも、就学前のクリストファー・ロビンの想像が具象化した世界だと考えると合点がいきます。
そして、「内容がない」ということが許されるのも、未就学のこの年頃まで。
学校に入ってしまうと、内容があることを教わっていくようになるからです。
何かを教わり、意味のあることを求められる人生が始まるのです。
完全保存版で追加されたエンディングでは、学校に行くようになったクリストファー・ロビンがプーに対し「何もしないことが好きだった」と打ち明けます。それと同時に「何もしないことはもうできない」のだとも。
「もう今のままではいられない」というこの宣言は、まさにそんな「何もしないでいられた」子ども時代の終焉です。
成長と同時に失われる何かを表現したこのシーンは、個人的にはグッとくるものがありましたね。
子どもの成長という喜ぶべきことの裏に孕む物哀しさを感じさせる、とても味のある名シーンだと思います。
このように、子ども時代の終わりが描かれることで、大人の視点で見てしまう観客にとっては、それまでの内容がないエピソードにも、子ども時代の終わりを強烈に意識させる前フリとしての意味が立ち現れてしまうのでした。
つまり、プーさんと仲間たちの出来事自体がメインのストーリーであるものの、これをクリストファー・ロビンの日常として捉えた場合、内容がなくても良かったそれまでの日常と対比して描く、クリストファー・ロビンの成長がこの物語の核なのだという風に見てとれます。
だからこそ、やはり本作「くまのプーさん」はクリストファー・ロビンの物語なんだと思います。
最後に
見る前の予想とは裏腹に思いの外、考えが入り乱れて色んなところに飛ぶ経験をしました。いい意味で予想を裏切られた作品でしたね。
そう言えば、子ども時代の終焉の描き方については、同じディズニーでも『トイ・ストーリー3』とか『インサイド・ヘッド』でも名シーンがありましたよね。
どっちも(心の中で)号泣した記憶があります。
このテーマはもはやディズニーの十八番っていう感じもしますね。
さてさて予習も済んで見にいく『プーと大人になった僕』はどんな感じになるでしょうか、非常に楽しみです。
本日はこれまで。
それではみなさんご機嫌よう。
こんな記事も書いてます。
ディズニーチャンネルではお馴染みのザック・エフロンの記事とかもあります。
ザック・エフロンの記事はシリーズ化して、いくつかあります。
mariamucha.hatenablog.commariamucha.hatenablog.com