新カテゴリー「誰かの言葉」始めます。
元々は映画を見た感想を書くブログだったんですけど、忙しさにかまけて更新が滞っております。
数は減ったけど、そこそこ見ており、レビュー記事も書きたいんですけど、ただ面白かったつまらなかっただけを書くのもなんだかなぁという気分で、いざ書くとなると分析したがるのが厄介で、これがまたエネルギーと時間を使うこと使うこと。
そんな最中、普段から自分の思考の癖をきちんと認識できているかなんていうことを思ったわけですね。
割と直近で顕在化している自己の問題についてリンクするような素晴しい作品がたまにあるわけですが、そういうのは記事にしやすいし、自分にしか書けないだろうなっていう自負もある分、それなりに厚みもあるんですよ(たかが世界の終わりとかラ・ラ・ランドとかの記事がそう)。でも当然のことながらそうじゃない作品がほとんど。しかしそれらに対しても、良かった作品は存在するわけで、その部分の言語化が自分は弱い。
つまるところ、映画で表現される事象について自分が何を思うのかって、自分という存在をメタ化して認知していないとうまく表現できないんじゃないかなと。この自分の思考の癖を認識する、すなわち自己のメタ化というところが自分はまだ拙いからレビュー記事を書くのも時間がかかり過ぎてしまうのではないかなと思うようになったということです。
じゃあ、自分ってどう構成されているかというと、それはこれまで見聞きした言葉に他ならない。知らず識らずのうちに、見聞きしたことの中で、なぜか覚えている、心に残っている言葉があって、それらはなんだか自分にとって大切なものっぽい。これを集めてみると、自分という存在は何を大切にして、何に心を震わせているのかがわかるのではないかという気がしてきているといった具合です。目指せ己のメタ認知。
ということで、誰かに聞いた、どこかで見た言葉の数々を思い出したら、ただ書くというスタイルの記事を新カテゴリー「誰かの言葉」としてスタートしようと思います。
一言二言書くだけなので、レビュー記事よりは更新のハードルは低いはずなんですが、思い出したら書くという性質上、どれだけ続くかわかんないです。単純にそこまで思い出さないかもというのもあるし、まぁ続かなかったら飽き性なのが己だということで。
ここまで書いてみて一つわかったのは、自分は「言葉」を重視しているんだなぁということです。
本日はこれまで。
それではみなさんご機嫌よう。
割ときちんと書けているなと思っている記事はこちらです。